寝ても覚めても映像翻訳

海外在住の映像翻訳者による雑記です。

きっかけはディカプリオ

戸田奈津子先生にトンデモ勘違い手紙を渡したあの日からさらに時を巻き戻した、中学生時代の話です。

 

何を隠そう、私の思春期はレオナルド・ディカプリオのブレイクと丸かぶりでした。中学生〜高校生の時期のほとんどを、レオ似の金髪×青い目の好青年と恋に落ちる妄想に耽って過ごしたものです。

 

洋画好きの方ならご存じかもしれませんが、その昔『ロードショー』という映画専門雑誌がありました。付録にレオの特大ポスターなんかもついてくる、夢のような雑誌です。毎月欠かさずに購入し、教科書を差し置いて熱心に読み込んだものです。当時のハリウッドスターのうんちくを、たくさん学ばせていただきました。あの頃の私の部屋は、壁一面にレオのポスターが貼ってありました。ちなみに一時帰国した時は、母によって韓流スターのポスターに差し替えられていましたが。

 

『ロードショー』にはスターのファンレターの宛先も掲載されていたので、迷うことなく書きましたよ、ディカプリオにお手紙を!電子辞書をひきまくって頑張ったのを覚えています。目立ちたい一心でジャックとローズの切り絵なんかも同封して、真面目に返事を待っていました。

 

それにしても、あの頃のレオの美しさ+戸田奈津子先生の字幕のケミストリーはすごかった!多感な年頃であったこともあるでしょうが、本気で酔いしれ、シビれていました。映像翻訳者への道を志した動機は、あのケミストリーに衝撃を受けたから、と言っても過言ではありません。松田聖子さんの「ビビビときた」っていうその感覚、私には分かります(例が古い)。

 

私の青春の1ページである『ロードショー』は2009年1月号をもって廃刊に。あんなにトキメキを覚えた雑誌は、後にも先にもあの雑誌だけです。ありがとうございました!映像翻訳者になれるよう頑張っておりますので、どうか見守っていてください。

 

ディカプリオも、相変わらずモデル美女をとっかえひっかえしてますが、アカデミー賞も取ったし環境問題にも熱心で、立派な中年男になりました。20、いや30年先でもいいので、いつか彼の作品を担当するという野望を胸に学習しております。

 

きっかけもモチベーションも、ディカプリオです。